イタリア料理に思うこと。

こんにちは。

学芸大学でのマッサージのあとの私の決まりごとは、商店街にある古書店を見てまわること。
その主たる目的は、古い料理本を探すことなのですが、今日はとても良い本に出会えました。

『マリオのイタリア料理(3)パスタ・ピッツァ』
(調理指導:マリオ・ベニーニ/調理・文・写真:西川治、草思社、1978年)です。

マリオのイタリア料理〈3〉パスタ、ピッツァ―スパゲッティ、マカロニほか

マリオのイタリア料理〈3〉パスタ、ピッツァ―スパゲッティ、マカロニほか

(上の写真は1998年に出された新装版の方ですが、表紙は同じです。)

西川治さんといえば、現在も精力的に活動されている、写真家・文筆家・写真家・料理人。
その彼が30代の後半にミラノに滞在した際に、マリオ・ベニーニ氏と出会い生まれたのがこの本。
ギリシアの海運王オナシスにまで料理の腕を愛された、マリオ・ベニーニ氏は、自動車事故により、
失明に近い状態になりつつも、「料理への情熱はおとろえず、身につけた料理のエッセンスをこの本に
たくした」、とカバーでは紹介されています。
実際、1978年出版されたこの6冊のイタリア料理のシリーズは、日本にはじめて体系的にイタリア料理を
紹介した本でもありました。

実は、この本は、神保町ではよく見かけるのですが、実際に手に取ったのは今日がはじめて。
けれど、中身を見て、心から、“Ecco, c'e la vera cucina italiana!!”(ほら、ここに真のイタリア料理がある!!)
と思いました。

1970年代以前に外国に行かれた方々の紹介する外国料理というのは、往々にして、
「自分が学んだものをはじめて日本に紹介するのだ」という意識が強いように思います。
真摯にその国の伝統的料理と調理方法を紹介する、というのでしょうか。
そして、それが、私が古い料理本を好んで探す理由のひとつでもあります。

この本でも、その例にもれず、今もイタリアの家庭で食べられている、普通の、あたりまえの、
伝統的な、真のイタリア料理が伝えられています。
私も、イタリアを中心に生活していた5年間、特別なリストランテにでも行かない限り、家庭でもオステリアでも
あるいは一般的な料理番組や料理雑誌でも、この本と共通のベースとなっているようなイタリア料理を楽しみ、
伝えられてきたのでした。(注 話題が煩雑になるので、この際は「イタリア料理」は存在するのか、という
議論は省きます)

この本は、さまざまなパスタのリチェッタが書かれていますが、そこにいちいち、ふりかけるべきチーズが
書かれています。「パルミジャーノ・レッジャーノ」だとか「ペコリーノ」といった風に。
それでは、この本の中にある、『菜の花入りスパゲッティ』の場合はどうでしょう??
正解は、「チーズなし」です。いや、もちろん、どうしても好きならかけてもよいですが、
かけないのがイタリア人流です。
菜の花のほろりとした苦味や風味を味わうには、シンプルに塩とオイルだけがベストです。
ちなみににんにくは入れますが、胡椒はふりません。
(卑しくもチーズプロフェッショナルなのであれば、そこのところも押さえておかなければ、と思うところ
でもあります)

けれど、最近の日本のイタリア料理を見ていると、どうもそこのところの感覚が違う、あるいは知らないのでは??
という気がしてなりません。
その背景には、イタリア料理そのものの脱伝統という流れと「イタ飯ブーム」による周知があり、
その結合の結果、日本では、決してイタリアではありえないような、イタリア食材を使った奇妙なフュージョン料理
およびその縮小再生産が現在主流になってしまっているような気がします。
もちろん、多くの料理人の方々は、イタリアで勉強された経験があり、真のイタリア料理をご存知なのもわかっている
のですが、レストランのメニューや最近の料理本などを見ると、やはり、むむむ、と思ってしまうことが多いです。
特に、パスタ関係の使い方は、非常に乱暴だなぁ、と。
パスタも、そのソースには何、という決まりごとのあるものですから。

私のいまのイタリア料理の師匠、イタリアの伝統的家庭料理研究家のダニエーラ・オージック先生などは、
「日本のイタリア料理は(「日本の」という部分を省いて)イタリア料理と言ってほしくない!!」
と常に嘆いていらっしゃいますが、同感です。
ただ、受容者の問題も大きいのかな、とも思います。

「イタリア料理」と銘打たなければ、問題はないかもしれませんが。
やはり、私としては、チーズやその他の食材を通して、少しでも「真の」という感覚を皆様に媒介できればなぁ、
と思うわけです。